武将像に
ついて

"本物の戦国武将の甲冑姿"

織田信長 武将像
真田幸村 武将像
伊達政宗 武将像

“戦国の思想・日本の美”をテーマに

当社は創業以来、戦国時代の造形美を追求した作品作りを通し、国や民族を超え、世界にその素晴らしさを伝えることを目的にその造形美を追及してきました。又、その背景となる思想、宗教、歴史を研究してきた多大なノウハウを持っております。
ものづくりに当たっては徹底した取材と研究を行っており、「本物(現物、現場、現実)」を追求することで当時と同じ製法や素材を使用し戦国期の美術工芸品を制作してまいりました。その姿勢が海外からも高い評価を頂いております。

文化創造事業として高く評価され、平成13年経営革新企業に認定される

当社の企画に基づき、世界で初めて日本甲冑武具研究保存会 甲冑師:三浦公法氏の協力を得て1/4スケール創作甲冑の制作に着手、世界的にも評価される戦国期の甲冑の造形美を再現。 武具として部分的に保存されているが、着装した全体像としては正確に再現されることが殆どないことに着目。又、有名武将の甲冑の大半が失われ、実像が分からなくなっていることに当社は危機感を覚え、安土桃山の造形美を後世へ残すため研究と創作を開始。同時に正確な考証のもと武将絵画等の創作開始。織田信長を始めとする現在の戦国武将像に大きな影響を与えました。

1998

― 監修、開発協力 甲冑師・三浦公法氏

社団法人 日本甲冑武具保存協会 (元)専務理事/(現)顧問

日本で数人しかいない甲冑師のひとり。 昭和44年(1969)、日本甲冑武具研究保存会より推薦甲冑師の指定授与。昭和50年(1975)、英国ロンドン塔王室武具館所蔵、徳川家康より英国王ジェームス一世に贈られた日本の甲冑の修理復元を受け、完成し同館に引き渡しました。この他各地の甲冑の復元、修復、複製を手がけています。

南蛮胴具足着用 織田信長

【天下布武】
時代の変革期には天才が現れる。
まさに信長は戦国に突如登場した革命者であった。小国尾張に生を受け、周囲を敵に囲まれて育った。
だからこそ他のだれもが無し得なかった因習を打ち破り、日本統一という具体像を人々の目の前に指し示すことができた。

織田信長の登場は、日本史上の大きな転換点であり、その強力なリーダーシップは、四百年以上時を経てなお、現代人を惹き付けてやまない。変化が激しい現代を変革の時代と呼ぶならば、まさしく信長こそ、今求められるリーダー像といえるのではないか。軍師を持たず、自らを貫き通し稲妻のように生きた信長の思想や意志までも感じられるような彫刻作品をつくる、本作はそのような思いから15年にしてたどり付いた、頂点の作品である。

織田信長 武将像 制作への想い

仏胴具足着用 真田幸村

【“大坂夏の陣”戦いの終焉 静謐な座像に幸村の心象を投影】

幸村の存在が無ければ、後世までこれだけ真田氏が広く武家の理想と語り継がれることは無かっただろう。関ヶ原の戦いでは、徳川秀忠を足止め、遅参させたことで高野山に幽閉となる。
祖父・父の才を確かに引き継いでいながら、充分な戦場が与えられなかった幸村には、深く鬱屈した思いがあったに違いない。幸村には使う術のない戦略が溢れていた。

その最後に訪れた機会が【大坂の陣】であったはずだ。幸村率いる真田軍は、大坂城「真田丸」から圧倒的多数の徳川軍に寡兵で立ち向かい、家康本陣にまで迫る驚くべき奮闘をみせる。
苛烈な戦いに挑んだ幸村に思いをはせると、歴史に名を残すに充分な功績を立てた誇らしさと充足感、それと共に人の運命のはかなさが交錯する。

真田幸村 武将像 制作への想い

五枚胴具足着用 伊達政宗

【奥州筆頭大名・『独眼竜』伊達政宗】

正確な考証、高度な美術彫刻技術で、指揮を執る政宗公の雄姿を完全再現。
若干十八歳にして伊達家の家督を継ぎ、数年のうちに破竹の勢いで奥州筆頭大名にのし上がった伊達政宗。若年期より苛烈な戦いを経てその地歩を固めたことから、戦場で自ら指揮を執る颯爽たる武将像として制作されました。伊達政宗は、天下人・豊臣秀吉の時代を巧みな駆け引きで生き抜き、その後も徳川家康に重用され、現在の仙台の繁栄の基礎を築きました。

また、伊達隊は『大坂夏の陣』(道明寺の戦い)で、勇将・後藤基次(又兵衞)隊を壊滅させ、その後、戦国最強ともいわれた真田幸村隊と激突し、まさに戦国時代の最期を飾るにふさわしい激戦を繰り広げました。

伊達政宗 武将像 制作への想い

― 制作への想い ―

海野宗伯

作家 海野宗伯(うんのそうはく)

1962年生まれ。
幼少時より日本の伝統美術に深く興味を持ち、美術研究と古美術取集を行う。
その後、日本美術の中でも特に戦国安土桃山期の造形美と思想に魅せられ、禅、茶道や水墨・金壁障壁画をはじめ
甲冑・武具・装束など日本文化に多大な影響をもたらした戦国大名に特に興味をもち徹底した研究と資料収集を行う。
90年代頃より安土桃山の造形美を求めて甲冑や武将像の制作を開始。

日本を代表する甲冑師・三浦公法氏に依頼し、共に世界で初めてとなる本物と同素材・同製法による幸村1/4創作鎧を完成。
のちに精巧な鎧装束の武将彫像作品を制作する。

海野宗伯は30年以上にわたり戦国大名と戦国美術の研究を行い戦国期の鎧の研究をもとに、出来うる限り正確に甲冑装束の出で立ちを再現した彫像を制作しています。
日本の鎧は大名ごとに他の国にない独自の美しさと機能性を兼ね備え、防具以上の精神性を伴っています。
日本の武将たちは己の信条や美意識を独特な形状の兜、また黒・赤・金といった華やかな色で表現し、まさに華々しく死ぬための装束として戦場に臨んでいました。

目立つ装束で戦場に挑むのは、死を恐れず、戦場で見事に死ぬことこそ本懐であると考える日本独自の武士の死生観に対する美学を反映しています。

生殺与奪―、すべてを決める権限をもち、自ら道を切り拓き、国をつくった戦国時代の大名たち。
大名たちがどのような姿かたちで戦国を生き抜いたのか、その臨場感に溢れる姿を正確な考証と優れた造形美表現で再現しています。

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黒田長政 甲冑
武田信玄 甲冑