織田信長
武将像

人間五十年 天下のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり

織田信長 武将像
織田信長 甲冑

"天下不武”

時代の変革期には天才が現れる。まさに信長は戦国に突如登場した革命者であった。小国尾張に生を受け、周囲を敵に囲まれて育った。だからこそ他のだれもが無し得なかった因習を打ち破り、日本統一という具体像を人々の目の前に指し示すことができた。

織田信長の登場は、日本史上の大きな転換点であり、その強力なリーダーシップは、四百年以上時を経てなお、現代人を惹き付けてやまない。変化が激しい現代を変革の時代と呼ぶならば、まさしく信長こそ、今求められるリーダー像といえるのではないか。軍師を持たず、自らを貫き通し稲妻のように生きた信長の思想や意志までも感じられるような彫刻作品をつくる、本作はそのような思いから15年にしてたどり付いた、頂点の作品である。

"第六天魔王"

生殺与奪、全ての権限を有した戦国大名は、現代人とは全く異なる絶対者として君臨した。
手にした権限が絶大であったがために、臣下にとって神にも近しい存在だった。

"南蛮胴具足とは"

南蛮胴具足とは、戦国期にポルトガルなどヨーロッパ船によってもたらされ、献上された貴重な甲冑のこと。
板金技術に優れたこの鎧は、鉄砲に対する防御機能に優れており、日本伝来の鎧と組み合わせ使用された。その希少性もあり南蛮胴を身に着けることができたのは、特に高い位の戦国大名だけに限られた。キリシタン・宣教師を最初に保護した「信長」こそが、この南蛮鎧を身に着けたはじめての人物ではないだろうか。

1998

― 監修協力 甲冑師・三浦公法氏

社団法人 日本甲冑武具保存協会 (元)専務理事/(現)顧問

本像を制作するために、当世具足の第一人者で甲冑師の三浦氏に1/4鎧を、本物の鎧と全く同素材を用いて制作していただき、造形の基本とした。
信長の現存資料は少なく、徳川家康が所有した南蛮胴具足等を参考資料とし、極めて精巧な鎧の復元に努めた。信長が南蛮胴具足を身に着けたことは文献にも記録が残されている。

南蛮胴具足着用 織田信長

日本を中世から近世に変革した最大の貢献者が織田信長です。

経済改革:楽市楽座、関所の廃止にみられる経済の自由化による大幅な経済発展促進

戦術の革新:地域ごとに軍団制を用いて広大な地域を一元的に管理。
兵農分離による常備軍の創設でプロの軍隊を大量に備えた。
新兵器である鉄砲を量産化し組織的に集団運用を欧州に先駆け世界で初めて行った。

宗教改革:欧州に先駆け世界で最初に政教分離を実施して統一国家の基盤を作った。

本作品考案:作家 海野宗伯(うんのそうはく)

海野宗伯    1962年生まれ。
    幼少時より日本の伝統美術に深く興味を持ち、美術研究と古美術取集を行う。
    その後、日本美術の中でも特に戦国安土桃山期の造形美と思想に魅せられ、禅、茶道や水墨・金壁障壁画をはじめ
    甲冑・武具・装束など日本文化に多大な影響をもたらした戦国大名に特に興味をもち徹底した研究と資料収集を行う。
    90年代頃より安土桃山の造形美を求めて甲冑や武将像の制作を開始。

    日本を代表する甲冑師・三浦公法氏に依頼し、共に世界で初めてとなる本物と同素材・同製法による幸村1/4創作鎧を完成。
    のちに精巧な鎧装束の武将彫像作品を制作する。

史上初めての南蛮具足での信長像の再現。

当時初めて流入してきた欧州の技術を積極的に理解して取り入れようとした先進性を表現するため、信長が当時の欧州の甲冑を日本で改修して南蛮銅や南蛮兜として愛用していた姿を特徴的に再現しています。又、鉄砲に対して大変興味を持ち自らも優れた射撃技術を有していたのでその姿を再現するために火縄銃を所持させています。
ちなみに所持させたのは当時の狙撃用火縄銃(長距離射程)です。

慎重で計算高い信長は仮に戦場で自ら銃を使用する際にも相手よりも高所から、射程の長いこのような銃を使用することで万が一のリスクを避けていたと考えて装備させています。
直立したポーズは尊厳や威厳を表し、面頬で表情をあえて隠すことで神になろうとした信長の神秘性を表現しています。(ちなみに原型彫刻にはきちんと表情が彫刻されています。)

南蛮胴具足を着用させた理由。

この南蛮具足は長年信長の甲冑を研究する過程で23年前に徳川家康所蔵とされる南蛮具足を各所で見た際に最も造形的に優れていると思ったものがなぜか『試し撃ち』の凹み跡が複数あることに疑問を感じて
『当時最高級品で貴重であった南蛮具足をなぜ家康はこのような扱いにしたのか?』という疑問から仮説をスタートしています。

文献には信長の時代に確実宣教師が欧州の鎧を信長に献上しているのに全くそれらの存在は謎のままで一領も信長伝来の南蛮胴は残っていません。それに引き換え南蛮具足を重用した記録に乏しい家康が大量に保管し、伝来されていることに違和感を感じました。

そこで、『これらの家康所用の南蛮具足は信長のものではないか!』という仮説が浮かび
『積年の信長への不満が信長から下賜された南蛮胴の試し撃ちにつながったのではないか』
という結論を導きました。正室や期待していた長男を信長のために失い、戦国最強といわれた武田の軍勢の防波堤扱いされたことに対する不満や不信は常に家康の中にあり、信長死後下賜された南蛮具足にその恨みを込めて試し撃ちにしたという仮説です。

これにより、史上初めて完全な南蛮具足による信長像が完成しました。従来の信長像は旧式の伝統的甲冑を着用した表現でしたが私が完全な南蛮具足の信長像をマント付きで再現してから徐々に信長の甲冑イメージが変わり、今では誰もがイメージする『新たな信長像:現代での定番』になったといえます。

― こだわりのディティール ―

 

【信長の表情】
本作は面頬の奥に潜む「信長」の表情まで精巧につくり
あげている。近寄りがたい存在感を演出するため、あえて
面頬着用の像としている。(兜はお取り外しできません。)

 

 

 

 

【南蛮兜に面頬(めんぽう)を装着】
 厚い1枚板より板金でつくりだされる継ぎ目のない
 南蛮兜は、戦国期の日本の甲冑技術ではつくる
 ことが出来ない高度なものだった。

 

【火縄銃】 “からくり”まで忠実に再現
信長はどの武将よりも早く、圧倒的多数の火縄銃を
有し戦国の戦い方を変えた。鉄砲によって天下統一を目前とした。

火縄銃を掲げる、この姿そのものが、
合理的で革新を好む、信長そのものを象徴している。

 

 

織田信長 南蛮胴 甲冑 画像

【鎖かたびら 細部まで精巧に再現】
 甲冑が正確に造られていることはもとより、造形細部の
 完成度まで高いクオリティを備えている。 鉄砲の登場
 により、甲冑はよりからだにそったつくりとなり、動き
 やすさが重視されている。鉄・布・革など、甲冑各部の
 素材感も忠実に再現している。

謙信工房の巧み

【木片練込み技法】
木片練込み技法により、漆のような、味わい深い色と質感をつくりだす。素材に特殊な配合で木材を混合することで、彩色だけでは出すことができない、鉄錆地のような自然で味わい深い濃淡のある色を生み出す。さらに磨きを重ねることで、鎧らしい光沢が生まれ、造形・組上げ・仕上げまで全工程に職人の手仕事が入る。手間と時間を惜しまずつくり上げることが、作品に奥行きを与える。

【マント・胡粉仕上げ】
マントは、布らしいマットな質感とするため、表面を胡粉仕上げとしている。
それにより風になびく布の表情がよりゆたかに再現される。【胡粉】は、日本の伝統素材で蛤の殻を砕き、にかわ粉で溶いたもの。日本人形の制作にも伝統的に用いられる素材である。
マントの彩色はあえて控え目に上品な紫に。何十年という鑑賞にも、見飽きることなく、お部屋の装飾として違和感を感じさせない仕上がりに。

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海野宗伯 略歴

  コンサル 事業 画像11990年頃より
  戦国安土桃山期を中心とした思想が反映された造形美を求め、武将像や甲冑、着物、漆器等の独自制作を開始。

  1997年
  日本を代表する甲冑師・三浦公法氏に依頼し、世界で初めて当時と同様の製法と素材により1/4創作鎧「織田信長」を制作完成させる。
  その後、創作鎧「上杉謙信」「武田信玄」「真田幸村」を順次制作。

 

  真田幸村 原画2000年
  鎧の制作に並行して新たな武将像を求め、武将の人体の彫刻から研究し戦国武将像の制作を開始。戦国武将等の絵画制作を開始。

  2002年
  織田信長、真田幸村・伊達政宗の武将像プロトタイプを順次制作完成、発表。

  2007年
  面頬を輪島漆の装飾で飾る面頬シリーズや桃山の造形美を求めた漆器、茶器を制作。

  コンサル 展示会 事例2013年 仏画の制作を開始。

  2015年 真田幸村を中心とする戦国造形美の企画展展開を決定。

  2016年 1月12日~大阪タカシマヤにて第一期企画展開催。

*過去実績 大丸東京店(美術画廊)、銀座松坂屋(美術画廊)、日本橋丸善(美術画廊)などにて企画展開催

コンサル 事業 画像1
コンサル 事業 画像4
コンサル 事例紹介 画像
黒田長政 甲冑
武田信玄 甲冑
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